COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその42】〜古い話で恐縮ですが・・・自転車ではないネタ〜

古い話で恐縮だが、2011年7月21日にメディアはいっせいに「自転車の一方通行規制」を警察庁が実施することになったと報じた。キープレフトを呼びかけてきた一人として大喜びしたいところだったが、それまでも改善や改正でぬか喜びさせられてきた苦い経験があるので、待てよ、ホントに大丈夫か、と眉が唾でべちゃべちゃになってしまった。その時は警察庁のホームページにも記載がなく、ほんとうに実現するのかも定かではなかった。当時の中野寛成国家公安委員長の選挙区である大阪、豊中市の有権者が、一方通行なんかにされたら遠回りで不便やんけ、と文句を言えば先送りされ、そのうち雲散霧消するかもしれない、とまじめに心配した。そんな悲観的な、と叱られそうだが、中野大臣が昔、所属していた民社党には前歴があるので心配だったのである。その中野寛成氏も2012年に引退し、忘却の彼方に消えようとしている。私がなぜ心配したのか。これから書き残そうとしている出来事はもう30年以上も前のことなので、忘れている人、知らない人が圧倒的だろうから、ちょっと脱線して歴史を振り返ってみよう。

ちなみに、この年の10月に、警察庁は自転車は車両として扱えという「歴史的な通達」を発信する。道交法制定以来、法的には自転車は一度として車両以外のものに分類されたことはない。車道左を走るというルールも一貫して変更されていない。例外的に、歩道も通行することができる場合がある、と法改正されたが、いつのまにか歩道を走ることが常識化されてしまい、車道を走ることが新たに義務づけられたと勘違いしている人が少なくないほど、歪んだ状況になった。自転車は車道という原則は、通達後も白チャリの警官が守れない実態があり、一般に定着するには時間がかかりそうだ。車道左に自転車用のレーン表示が普及するまでは、ママチャリで車道を走るのは怖い、という風潮が続くだろう。ことほどさように一度根付いた習慣を変えるのはむつかしい。

閑話休題、私が思い出した古い法律の名前は「所得税法の一部を改正する法律」である。毎年のように提出される同じ名前の法案だが、1980年に成立した改正法には「グリーンカード」の導入が盛り込まれていた。グリーンカードというと、米国の永住権証明カードを連想する人が多いだろうが、この時のグリーンカードは少額貯蓄等利用者カードというもので、納税者番号を割り振って利子・配当所得などに総合課税するために考えられたものだ。私はこの時の顛末を「グリーンカード事件」と名付けている。まさに、事件と呼ぶにふさわしい摩訶不思議な出来事だったのである。

当時、郵便貯金は民間の銀行を圧迫してはいかん、ということで預け入れ限度額は300万円に制限されていた。が、政府がやっているので安全確実、利率は安定していて非課税だった。だから、赤ん坊を含む家族全員がそれぞれ郵便貯金を持っていることは珍しくなかったし、飼い犬や猫の名義すらあった。一人一口座というたてまえではあったが、窓口で本人確認が義務づけられるまでは、適当な名前でいくらでも口座が開設できた。極端な言い方をすると、つまり、一部の小金持ちには手軽で安全な脱税装置だったのである。これでは不公平だというので、グリーンカードを制定し、このカードを一人に1枚発行し、埼玉県朝霞市に建設される予定の超巨大コンピュータで管理して、預貯金をしたければその都度、提示しなさいという法改正に踏み切った。これではそれまでのようにおおっぴらに脱税ができなくなる。それなら、外国債を買おう、金地金に替えよう、宝石にしておこう、と郵便や銀行からお金が消えると指摘する有識者が現れた。高級官僚たちは別の観点からの指摘も始めた。日本の国土整備は、郵便貯金を原資とする財政投融資を使って進められていたので、郵便貯金が減るとばらまくお金が無くなってしまう。納税者番号で公平公正な徴税をやるべきだが、他の抜け道がたくさん残されていて、強引にやると政府の手元からお金が逃げる、さあ、どっちが得か、という議論になった。

法律は成立したものの、当時の郵政省、郵便局の8割を占める実質上世襲の特定郵便局長や、その支援を受ける政治家、さらには数百兆円の郵便貯金だけでなく、グレーゾーンの銀行預金が流出することを恐れた金融業界が猛烈な反対運動を展開した。郵政族議員でもあった故金丸信代議士などが先頭に立ったが、零細企業のオーナーを主な支援母体に持つ当時の民社党も反対側に立ち、故・佐々木良作委員長、故・春日一幸前委員長、塚本三郎書記長らが廃止を訴えた。そして、法律は執行が延期されたあげくに5年後に廃止された。成立した法律が関連する法律との調整の過程で執行前に改正されることはある。だが、廃止されてしまうというのは極めて珍しい。そんな法律を成立させたこと自体、議員の不見識の証明であるし、この時のように言い訳はいろいろあるにせよ、脱税を取り締まると資金が逃げるから廃止などという身も蓋もない話は恥以外の何モノでもない。

21世紀になって、郵政改革を金科玉条のごとくに唱えてきた小泉純一郎総理が登場し、2005年には郵政解散までやって、郵便貯金ー財政投融資ー公共事業というトライアングルは崩壊させられたが、その後もいわゆる国民総背番号制は、プライバシーだとか個人情報だとか、国家管理は民主的ではない等々、さまざまな理由で採用されず、年金や運転免許、パスポート、健康保険、果ては住民基本台帳など、それぞれに番号がてんでばらばらに付けられて誰が誰だか判然としない状態のまま放置されてきた。まだ機能し始めてはいないが、マイナンバー制がようやく成立したのは2013年であり、運用は16年からの予定だ。これが納税の一元化や免許証やパスポートと連動し、自転車の防犯登録などと関連づけて運用されるようになるのは、ずっとずっと先のことになるだろう。

国民に番号をつけ、国家管理することによる問題は、全体主義国家を連想させるが、現代社会ではメリットの方が大きいような気がする。現在でも役所はそれぞれ用途別に番号を振って一応管理している。困るのはトラブルが生じた場合だ。年金番号はかつて、結婚したり転職したりするたびに一人に別の番号を付与するというバカげたことをやった連中がいて、全体が崩壊してしまった。これらの番号を使って何かする場合、全部当事者が自己申告する制度になっているので、亡くなったら申告してこないから財政的には成り立っていた。ところが、一度申告すると自動的に更新される制度を取り入れると、亡くなった方にも年金を支給し続ける場合をチェックできなくなった。そこへ大震災と津波が到来すると誰が無事で、どなたが被災したのか、特定することがなかなかできにくくなった。その背景には、私が私であるという証明を持たない日本の現状がある。欧米では身分証明書の携帯が常識になっていて、とても面倒で不自由だ。そのかわり、自分が自分であることを証明するのは難しくない。誰かになりすますことがむつかしいのはアランドロン主演の名作映画「太陽がいっぱい」を見るとよくわかる。わが国では、写真付きの免許証、パスポート、住基ネットカードを持たない人が自分を自分であると証明するのは実はたいへんである。村社会の雰囲気を色濃く残した平和な島国では、これまでそんな必要がなかったのかもしれない。原発事故の直後、作業に従事していた人たちのうち、200名弱が行方不明で被曝線量や健康被害の確認ができなかったという。最近では、長寿者が多数行方不明だったことがわかって大騒ぎになったり、生まれたはずの子どもたちが行方不明のまま放置されるという機能不全社会を露呈した。殺人犯が顔面整形して変名で何年も逃亡していた事件もあって、私たちの社会がとても脆弱な秩序のなかに置かれていることが明らかになってきている。

1億人を超える人々に通し番号を付けて個人を特定する作業が、技術的に不可能であるとか、予算的に難しいという時代はとっくに過ぎた。問題は技術も金でもなく、社会システムをどう構築するかという知恵と決断なのだろうと思う。今も昔も政治決断はむつかしい。やればできるが、やって評判が悪ければ選挙で負ける。それでもやるべきことをやる、あるいはやめるという重い決断を担う政治家のレベルが落ちていることがとても心配だ。レベルの低い政治家を選んでしまう我々有権者の問題でもあるのだろうが、泣き叫びたくなるのは、言うだけでやらない政治を眺めている私たちのほうである。

【季刊誌「PARKING TODAY(ライジング出版)」より改訂して掲載】

 

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