COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその4】 ~茹でガエルの悲劇~

親日家の外国人大学教授に「清潔好きで遵法精神に富み、環境共生ライフスタイルを持つ心優しい日本人が何故、自転車を放置し乱暴で危険な運転をするのか」と聞かれて、しばし絶句した。
 教授は日本の近代政治史の泰斗で、日本社会を深く理解し、多分、日本人をとても親しく感じてくれているひとりである。彼は、決められた日の朝に整然と積み上げられるゴミの山が、他の先進各国より格段に少なく、きちんと分別されていることに驚異の目を向ける。江戸期の研究者でもある彼は、300年前に人口百万を擁した世界一の都市が高度な資源循環型社会システムを確立していたことを知っており、「もったいない」というコンセプトが西洋化と工業化の波のなかでもしぶとく生き残ってきた歴史を尊敬してくれている。日本の緑被率(まとまった森林が国土に占める割合)は先進国中トップクラスで、国土面積や人口密度、GDPなどから考えると緑がふんだんに残っているのは奇跡であり、環境保全のための法律も整備され、巨大都市・東京の空気と水のレベルの高さが全世界の垂涎の的であると指摘する。
 その上、今回の東日本大震災における日本人の辛抱強さと気高さを目の当たりにして言葉を失った、と言う。省エネとリデュース・リユース・リサイクルでは他の追随を許さないのに、銀輪公害とまでいわれる自転車問題が改善されないのは何故か。
 森羅万象なんでも適当に答えを見つける「いい加減さ」が持ち味の私でも、こんなに難しい問いは久方振りである。
 ここに至った過程と要因はいろいろ挙げることができる。
 モータリゼーションを優先し自転車のことは無視した。
 クルマの邪魔になるからといって歩道に追いやって車両としての機能を奪った。
 駅前広場に余裕があったので放置を放置した。
 安全基準がないので粗悪な廉価品が氾濫し使い捨て商品になった。
 守れない規制や法律をつくって責任逃れをしたために誰もルールを知らずマナーもおかまいなしの風潮を助長した・・・
 そう説明しながら、ハッと気がついた。私たちは「茹でカエル」だったのだ。カエルを水の中に入れてゆっくりと加熱していくと、カエルはだんだん熱さに慣れ、飛び出す機会を失って最後には茹で上がってしまう。原発もクルマも、化学物質も危ないぞとは言われてきた。だが、ゆっくりとじっくりと慣らされてしまって、やり直したり逃げ出したりできなくなるまでじっと座っていたのである。これが日本人らしくないのか、日本人らしいのか、日本人である私には判断がつかない。
【月刊サイクルビジネスより改訂して再掲】
 

 

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