COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその16】~なんのことはない。結局、新刊本の宣伝~

2011年10月の警察庁通達で、自転車は車両として車道通行するという原則が改めて確認された。このあたりまえすぎる通達を、驚きと懸念をもって報じたマスメディアが多かったことに、ある程度は予想はしていたものの驚きを禁じ得なかった。
 車道なんか危なくてとても走れたものではない、子どもを乗せたママチャリはどうするんだ、子どもや年寄りも検挙されるのか、子どもが乗った自転車と一緒に走る親の自転車をどうするんだ!?と、車道走行推進の総本山(自称)である我が自転車活用推進研究会にも抗議の電話やメールが寄せられた。
 いったい自転車はどこをどう走ればいいのか、という素朴な問いかけに答えるのは、実はとても難しい。原則は原則として、長い間、自転車が歩道を走ることは常識化してきた。車道ではクルマという強者に圧迫され、怖い思いをすることがあるが、歩道では強者の立場にいられるので安心だという自転車利用者が多い。だが、歩道を通っている自転車はクルマからは認識されにくく、交差点などではとても危ないという現実がある。
 車道通行は、歩道を本来の安心して歩ける歩行者のための空間に戻そうというだけでなく、むしろ自転車の安全のために必要なのだが、車道は危ないという既成概念に凝り固まった人々を説得するのは至難の業だ。
 折から東日本大震災で出た膨大な瓦礫の処理に協力しないという自治体のドタバタ劇も報じられたが、東北の瓦礫が全部放射能汚染されているかの如く勘違いしている人や、風評に惑わされている人と、車道は危ないと思い込んでいる人の発想はよく似ている。統計や科学的な知見を検討しようともせずに、根拠もない恐怖におののくのは実に愚かだ。問題の原発から約280km離れた岩手県盛岡駅よりも、東京駅までは30kmも近い。中国の原発から漏れ出すかもしれない汚染物質が、黄砂に混じって飛んでこないかと心配する方がよほど論理的だ。
 自転車を取り巻く環境は、長い無関心の時代を脱し、ようやく無理解の段階にまで到達した。たかが自転車、と吐き捨てていた人たちが、にわか評論家に変身したことは歓迎しなくてはならない。だが、このままでは勘違いを本に書いて世間に喧伝してしまう懸念もある。ということで、少しでも正しい理解へと近づけたいと、ツーキニスト疋田とふたりで本を書いた。題して「自転車はここを走る!」。なんの芸もない。まんまである。オールカラーの豪華本だが、一家に一冊、常備していただきたいので広告をとってムックにし、680円と格安である。

【月刊サイクルビジネスより改訂して再掲】

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