2013年03月15日(金)
【自活研・小林理事長の自転車コラムその28】~売るときに最低の訓辞を垂れるべし~
各大学では例年4月になると校内に放置自転車があふれる。卒業生が使っていた自転車をそのまま置いて出て行くからだ。
立つ鳥跡を濁さず、ということわざは既に死語である。事務局あるいは学生グループが、後輩に自転車を譲渡する運動を始めている大学もある。が、それによって季節的放置現象が解消された例は私の知る限りでは、ない。
うまくいかない理由はいくつかある。乗り捨てていくぐらいの自転車だから、乗りたくなるような魅力的なものであるはずがない。錆びていて、あちこちから異音がする。パンクしていなければラッキー!というレベルが多い。たいていは、卒業までなのだから、と我慢して乗る消耗品なのである。「慣れないやつが乗ると危ないから」と、後輩に譲らない理由を真顔で教えてくれた学生がいた。もちろん、整備など考えたこともない。オジサンとしては、このバカヤローと、ぶん殴りたくなった。いやいや落ち着け、と自分に言い聞かせたが・・・。
聞くと、高校時代にも、ぎりぎり3年間で、あたかも下駄のように自転車を履きつぶしている。入学祝い、就職祝いにクルマは買ってやれないけれど、自転車くらいなら、と、よってたかってジジババがプレゼントする。
シーズンごとに一定の販売量が見込める自転車店としてはありがたいことだ。群馬県と茨城県の駐輪場を管理している人に聞いたところでは、ちゃんとしたメーカーの自転車なら、高校の3年間はまず使い続けることができるそうだ。
逆に言うと、粗悪品はもちろん、メーカー品でも数年間しか使われない実態がある。そして、後輩たちに振り向きもされない自転車は、ほとんどがゴミになり、一部が途上国に流れていく。
自転車部やサイクリング同好会などで使われているスポーツ自転車は、こうした下駄自転車とはまったく別次元の機械工業製品である。スポーツ車に乗るには、技術だけではなく、ルール遵守と安全意識が不可欠であることは言うまでもない。
ところが最近、超高級スポーツ車を「下駄代わり」に、あろうことか歩道で乗り回すバカも現れた。道で歩行者を蹴散らして走ることがあたりまえだと思って育った学生時代の感覚が、骨の髄まで染み込んでしまっているのだろう。大学近く住宅地からは、危なくて散歩もできない、との苦情が絶えない。
自転車を悪者にしたくない。その思いを業界が共有していないから、こんな情けないことになる。スポーツ車を販売する時に、まともな走り方と最低のルールを教える、という不断の努力が必要だ。それができない販売チャンネルを糾弾するくらいの実行力が消費者庁にあれば・・・と思うが、政治がまともになることが先決問題であることも事実である。
【月刊サイクルビジネスより改訂して再掲】