2014年02月20日(木)
【自活研・小林理事長の自転車コラムその38】〜クルマ脳をまたまた糾弾する〜
■【危険すぎる車道走行】
「自転車は原則車道、歩道は例外」と警察の自転車安全五則の筆頭にあるが、車道を自転車で走るのは怖い!という人が大半である。風圧を感じる至近距離を、数倍のスピードの鉄のかたまりが疾走していくわけだから確かに怖い。
私にも高校時代に恐怖の体験がある。大津から名古屋までの帰りの道路で、時速25km程度で走っていた私の自転車のかたわらを、猛スピードで追い抜いた大型トラックがあった。通り過ぎたクルマの背後に生じる空気の薄い部分に、私は吸い寄せられた。幸いにして、追随してきたトラックがけたたましいクラクションを鳴らしながら急ブレーキをかけ、九死に一生を得た。そのときの恐怖は、いまだに思い出すと身が縮む。
デンマークなどでは、自転車の脇を一定の距離をおいて追い抜くことが法律で義務づけられ、距離が確保できなければ追い越しも追い抜きも禁止されている。教育も徹底していて、道路上に引かれた区分のための白線は「壁だと思え!」と教えられる、と大使館のイェンス・イエンセン商務官に教えられた。
自転車活用推進研究会の理事でもあるデザイナーの左海利久氏は、カナダでの1200kmブルベ※に参加した経験がある。一部には高速道路も走るという、日本では想像もできない走行環境の超ロングライドだ。行き交うクルマが少ないということもあるのだろうが、100km/h以上で近づいてくる大型のトレーラーが、自転車を発見すると減速し、大きく車間をとって迂回してくれる。それが「普通」なのだそうだ。
日本では、なにか異常だがどうしようもないことが起きると「交通事故にあったようなものだと思って諦めなさい」という慰め言葉が聞こえる。交通事故は不可抗力で運が悪ければ避けられないものだとしたら、さっさと諦めよう、と思うのが日本人、ではどうしたら可能性を最小限に抑えられるかを考えるのが欧米人ということになる。諦めが良いふりをして、なんでも水に流して忘れようとするのは日本人の悪い癖だ。
加害者は簡単に忘れるが、被害者は痛みを忘れない。怪我こそしなかったものの、胃の腑まで凍えた恐怖の経験は45年以上経ったいまでも、私に悪夢を見せることがある。
■【硬直化した社会の不幸】
危険と隣り合わせの車道通行は怖いが、安全なはずの歩道では怖いと思う暇もなく災厄が降りかかるようになった。信号待ちをしていた孫を連れたお年寄り、歩道で自転車に乗って話をしていた高校生、路線バスを待っていた主婦、旅行先で記念撮影をしていた夫婦、踏み切りで列車の前に押し出された自転車、ランドセルを背負って通学路を集団登校していた小学生・・・最近の新聞をちょっとひっくり返せばいくつも出てくる。
飲酒運転は減りつつあるが、突然の意識喪失や、薬物、電話やメール、スピードの出し過ぎ、そしてほんのちょっとした不注意が、たくさんの人生を一瞬にして理不尽な停止に追い込む。事故を起こせばたいへんなことになるのは誰もがわかっている。だから、保険さえかけておけばなんとかなると考えるか、神経質なくらい事故の可能性を回避する努力をするか、が明暗を分ける。
国レベルの統計で見ると、日本はニカラグアや南アフリカ並みに事故発生確率が高い。1億台kmあたり日本は122件で、米(39)英(38)の3倍以上、フランス(15)の8倍に達する。これではクルマと一緒に道路を使おうと思う自転車利用者が少ないのは当然である。
自転車は車両として車道を走行すべきだと思うが、車道が危険では無理強いもできない。法律違反を承知で黙認してきた結果が、急激な高齢化と重なって歩行者と自転車事故の急増につながっている。
「買い物難民」といわれる出歩くことに不安を感じる高齢者は600万人を超えるという統計もある。買い物代行やネット宅配など、便利なシステムが普及すれば、家に閉じこもり、寝たきりになる高齢者を増やすだけだ。介護医療の費用負担は働く世代を直撃し、国全体の活力を奪う。
高齢者が気軽に楽しく出歩ける街をつくることが急務である。その足として、自転車とクルマの間に位置するなにか手頃で安全な移動手段が求められている。
日本経済を支えてきた自動車産業も、新たなニーズを発掘して事業を拡大したがっている。
しかし、そうした動きは、旧弊な規制や概念に縛られて一向に実を結ばない。
動乱も流血の政変も起きていない国なのに、自殺率が異常に高いのは、問題解決に踏み出せない硬直した社会のせいではないだろうか。
■【既成概念から抜けだそう】
便利で高性能なクルマは大切である。だが、便利だからといって優先権を与えたのが間違いだった。
法律や制度が「ややクルマ優先」という程度でおさまっているのに、現実の社会では「おクルマさま最優先」思想が蔓延している。
近頃、TVなどでも自転車の話題がよく取り上げられる。聞くと、意外に反響が大きいのだそうだ。ところが、その取り上げ方は「勘違い」だらけだった。過去形なのは、そのたびに研究会の仲間たちが法律や統計などある程度の根拠を掲げて抗議するので、TV局側は慎重に調べてから取材するか、あるいは面倒なので取材対象から外すか、の二極分化を始めたからだ。一歩前進である。改まらないのは、いかにもわかったつもりでコメントするキャスターや評論家である。
朝のワイドショーなどでは、夜明け前にハイヤーに詰め込まれてスタジオ入りするのが常だから、どうしても頭の中が「クルマに乗っている」状態になる。すると、クルマ目線のコメントが飛び出し、取材陣が熟慮し、考察を重ねた映像の意味をひと言でぶち壊す結果となる。
「でも、やはり自転車は危険ですね」とか「マナーが悪い自転車が多いですね」というコメントは、まさにそのとおりなのだが、危険にしているのがクルマであることを忘れており、マナーどころかルールそのものが知らされておらず、そのうえルールが間違っていることすら認識していない。
必要なのは、クルマが遠慮することであり、そう定めた法律を制定し、教育することだ。
しかし、歩道通行をあたりまえだと思っている「クルマ脳」著名人たちが死に絶えない限り、勘違いコメントが繰り返され、そのたびに私の血圧は危険水準まで急上昇するのである。
※ブルベ(Brevet)とは、組織化され、制限時間内での完走の認定を伴う自転車での長距離ロングライドイベントのことをいう。(ウィキペディア)
【季刊誌「PARKING TODAY(ライジング出版)」より改訂して掲載】