COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその52】~結局、自民党が「交通政策基本法」を作ったが・・・~

 いまは民進党になったが、大地震と共に崩壊した民主党政権が誕生した頃の話である。

 2003年と2006年に野党時代の民主党が提出し、二回とも廃案になっている「交通基本法」が、また出てきてくれると良いなと思っていた。

 自転車利用者の立場で見ると、細部に不十分な印象もあるが、当時の民主党の「交通基本法」には、これまでの日本の法律には見られない思想が盛り込まれていた。
第一に、「移動に関する権利」を一種の基本的人権として国民すべてに保障しようとしていること。国民が移動することを認めるのは、あたりまえのように思えるが、それを権利として認めるとなるとたいへんである。
極論すれば、日本人はどこにでも行く権利をもっていることになり、絶海の孤島に行くための定期船航路を国が整備しなければならないことになる。
もちろん、非現実的なことは排除できるように法整備することになるのだろう。
概要は、「移動する権利」を、憲法25条に基づく社会権と、自由権の両面から規定する、としている。
いわゆる「人の通行権」を定義するわけで、新たな権利が憲法の拡大解釈で生まれることになる。
いっそのこと、環境権なども加えて改憲してしまえば良さそうに思うが、9条の非戦条項で議論がフリーズすることも目に見えている。
原型のまま存在する世界最古の憲法として、世界遺産に指定される方が、きっと改憲より早いというのはジョークだ。

 少々堅苦しい話になるが、日本国憲法には、人が存在として、精神的にも経済的にも自由である権利、いわゆる基本的人権が書かれていて、公共の福祉に反しない限り国はこれを保護し守らなければならないことになっている。
公共の福祉と個人の自由とがどこでどう絡み合うのかについてはさまざまな議論があり、実にむつかしい。
まあ、われわれ庶民がそんなことを知らなくても、何ら生活に支障はない。
ただ、憲法は個人の自由な権利を公共の福祉のために使うよう促す記述がある。
すばらしい規定なのだが、最近の世相を見ると、この憲法の理念は影が薄くなっていて、自分勝手な利己主義が横行している。
自転車で他人の迷惑をかえりみず暴走する連中が出てくるのも、自由の権利をはき違えているからなのかもしれない。莫大な教育費をつぎ込んでいったい何を教えているのか、首を傾げざるを得ない。

 いかん。ついカッとなった。冷静になろう。

 憲法には他にもいろいろな権利がかかれている。
どこに住んでもいい、とか、職業選択の自由、とか、大人になったら勝手に結婚していい、とか、選挙権などというものもある。
この選挙権を行使しない人が多い。
権利を行使するかどうかは自由なのだが、見返りの「義務」のほうも軽視する傾向があり、教育・労働・納税の三つしかない国民の義務すら果たさない人がいる。
憲法には実はもう一つ義務がある。この義務は、公務員にだけ課せられている。
戦争前には、公務員による国民の権利の侵害を禁止する条項が弱く、いまだに「お上の言いなり」傾向が残るのは、その名残である。
民主憲法は、これを防ごうとして、やたらに国民の権利を強調した。
公務員の義務とは、基本的人権を定めたこの憲法を「尊重し擁護する」義務である。
せっかくのこの条項だが、公務員の最高位に位置する国会議員の一部には、精神さえ否定しようという議論があるくらいだから、ほかの条項を国民に守れ、いうことにそもそもの無理があるのかもしれない。

 閑話休題(さて)、「人の通行権」である。
日本のどの法律にも登場しないこの考え方は、1982年、人権主義の本場、フランスで明文化されている。
それも、人が移動する権利を国や自治体が保障することは、最高の福祉政策である、というのである。
この思想は、他のEU諸国に伝染し、いまやEU連合の基本理念の一つにまで、のし上がった。
なぜ「移動する権利」が福祉政策なのか。
民主党案の概要説明には、「利用者の立場に立ち、バリアフリー化や生活交通の維持を進める」とある。
福祉というとすぐ障害のある人を連想するのは、悪い癖だ。
フランスをはじめEU諸国がいう福祉は、高齢や貧困を含めて範囲がきわめて広い。
私のような貧乏人にも、自由に移動する権利を保障しようというのだから太っ腹である。
ただし、すぐになにがなんでも保障するわけではない。
本人の努力も忍耐も必要であり、国はその理想に向かって努力することになっている。
その努力が見える形であらわれたのが、パリで2007年から始まったコミュニティサイクル「ヴェリブ」だ。既にこのコーナーで、何度も取り上げているから、ご存じの方も多いだろう。
登録料さえ払えば一年間、30分以内に返却と再借り出しを繰り返して、24時間・無料で自転車が使える。
その経費は、市内の特設広告看板の収益でまかなわれるが、請け負った広告会社はリーマンショック以降の不景気で窮地に立たされているらしい。
ともあれ、広告看板の規制を何十年もかけてやってきたこと、自転車道路を整備したこと、そして、クルマの通行を不便にして、ドライバーなどの猛烈な抗議にも屈せず、基本方針を貫いたことが、成功の要因だろう。
パリの貧しい若者たち、なかなか定職につけない移民層に、この政策は圧倒的な支持を受けた。
ヴェリブがスタートして数ヶ月間は、パリ中にあふれた自転車で、大渋滞が起こり、ドライバーやクルマの業界などから、猛烈な批判が巻き起こった。
大渋滞で大気汚染やCO2の発生が増えた、と指摘する新聞報道もあったという。
パリ市は、方針を変えなかった。下手をすると市長が次の選挙で落選する危険を冒し、そうした批判を無視し続けた。
3ヶ月もすると、ドライバーたちが白旗を掲げ、車を使わなくない人が増えた。
バス・自転車共用レーンで定時制を確保された路線バスや、地下鉄などの公共交通機関で市内を移動した方が、早くて便利だ、と気づいたらしい。
最後の100メートルを歩きたくない人のためにも、ヴェリブは使われるようになった。
日本でもなんとかならんかと思っていたら、環境省が乗り出してくれた。
私の見るところ、今の日本で唯一、ヴェリブ方式が成立するかもしれない場所だと思って大手町・丸の内・有楽町周辺で、2009年10月11月にコミュニティサイクルの社会実験をやった。
主体はJTBだったが、エコステーション21で全国の駐輪場のイメージを変えた日本コンピュータダイナミックスがシステムを構築した。
何を構想してもことごとく法律・条例・規制の壁にぶつかる現状で、とにかく実施にこぎ着けたチームの情熱には感服、感謝だが、結局、実験で終わった苦い思い出である。

 さて、いったんは政府与党となったわが国の民主党の「交通基本法案」は、野党時代なら「基本計画により、非効率な公共事業をやめ交通体系の整備を総合的・計画的に行う」と言うだけで良かったが、与党となると、予算化し、実現しなければならなくなり、結局成立しなかった。
当時の法案をよく読むと、理念と具体策との間におおきな隙間があることに気がつく。
たとえば、「交通に関して分権化を推進する」としているが、この対象と名指しされているのは国土交通省の領分だけである。
交通については、実際の交通規制が問題なのであって、道路や鉄道、空路、海路など予算をつぎ込めば解決できそうなものだけを見ていたのでは、改善できないはずだ。
つまり、法案は国交省の予算の使い方を修正し、地方自治体、それも現在では交通政策に直接関与する割合が少なくなっている都道府県に、責任を分散させる意図で立案されている。
街づくりや生活の基本になっているのは市町村であり、道州制を視野に置けば、都道府県単位の法案をだすことそのもののセンスを疑いたくなる。
生活第一のスローガンからは信じがたいが、国民生活に密着する交通規制行政についても、まったく視野から外れていた。
交通が環境に及ぼす影響について言及したのはいいが、高速道路無料化や、暫定税率撤廃などどの整合性も見あたらない。
交通インフラだけでなく、交通秩序の維持も分権化するとなると、国家公安委員会や都道府県公安委員会がやることになっている交通規制の権限も、市町村に移管されるのが当然だと思われるが、都道府県の役割はどうなるのか。まじめに考えると、だんだん腹が立ってくる内容だった。

 2011年に東北大震災が発生し、与野党が歩み寄って「交通基本法」は「交通政策基本法」と名前を変えて13年に成立し、施行された。この法律に基づいて、国土交通省は計画をたてていて、自転車についてもシェアサイクルの普及などに言及している。
だが、フランスの基本法を参考にした「人の通行権」は影も形もない。

【季刊誌「PARKING TODAY(ライジング出版)」より改訂して掲載】

 

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