COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその9】~走ってる最中に壊れたら・・・~

 将来、加熱した自転車ブームがどこで鎮静化し始めたのかを検証することがあったら、大きな要因のひとつに上げられるかもしれない事件がある。2010年4月のことだ。
ヨーロッパブランドのマウンテンバイク(もどき)のフロント・サスペンションが走行中に破断し、突然前輪が外れて前につんのめり、60歳の乗り手が頸椎を損傷して首から下が動かせなくなったという事故だ。各種の報道を点検してみるといろいろ不思議なことがある。
フロントのバネを止めるピンがなかったために、錆びて破断したというが、左右のサスペンションが一度に破断するとは考えにくい。片方のが壊れていたのに気づかずに乗り続けたのだろうか。他にも購入時、使用時に首をかしげざるを得ないことがいくつもある。問題の自転車は通販で入手しているため、適正に組み上げられたかどうかわからない。雨ざらしにしていたらしいが、雨天走行の後で自転車を逆さまにして干す習慣をたたき込まれた年代には、信じられない扱いだ。しっかりつくられたママチャリであれば、雨ざらしに耐えるようにつくられ、そうとう無茶な扱いにも耐えられる。そのかわり重くて遅くて、快適な走行にはほど遠い。
いやいやママチャリだって充分、快適に走る能力があると反論する向きもあるだろうが、質の高いハードと特性を知り尽くしたソフトを組みあわせて疾走する本来の自転車走行と比べるのは、そもそも無理がある。それにしても形だけのブランドスポーツ車を、ママチャリ感覚で買って、整備もせずに、本格的なスポーツ車並みのスピードで走らせた無謀さは責められて良い。
 だが、そうした乱暴な扱いを想定しない設計の自転車を、なんの配慮もせずに売る側にも大きな問題がある。もっと深刻なのは、こうした事故が起きてしまった場合の対処のまずさだ。
クルマのメーカーなら、サスペンションの欠陥は部品メーカーの責任だから知らない、などとは口が裂けても言わない。自転車は安いのだから仕方がない、などという言い訳は、生命を乗せて走るものを造っている自覚がない証左である。
そうはいっても、自転車メーカーが部品の品質をコントロールすることはほとんどできない。
 つまり、メーカーと呼べない。単なる組み立て屋さんである。
売るのなら、たばこ並みに危険をはっきりと明示するのも手だ。
文面を考えてみよう。「適正な組み立て、定期的な整備、性能を維持するための管理を行い、適度な速度で車体に衝撃を与えないよう走行してください。これを守らないとあなたと周囲の生命に重大な危険を及ぼす可能性があります」というのはどうだろう。
自転車の危険を警告するのと、それ自体が危険な存在であると決めつけるのとでは、雲泥の差がある。業界は自転車の危険についてことさらに触れないよう、目立たないよう、大騒ぎにならないよう、腫れ物に触るような対応に終始している印象がある。
そうしたやり方がかえって事態を深刻化させ、全体の不利益につながってきた事例を思い起こしてみた方が良い。真正面から自転車の選び方と使い方、危険を最小限にとどめる方法について積極的にアピールすべきだ。自転車は生命を乗せて走る車両なのである。
造る側、売る側はこのことに最も敏感でなければならない。このことを軽視すれば、消費者の不信を招き、せっかくのブームに水をかけることになりかねない。
ブームは一時的な流行だから、いつか終わる。ブームの終焉は避けがたいが、ブームをきっかけにして健全な自転車の利用が、多くの人の生活に定着するきっかけになることを祈りたい。
【月刊サイクルビジネスより改訂して再掲】
 

 

 

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