2011年10月12日(水)
【自活研・小林理事長の自転車コラムその12】~常識について考える~
久しぶりにクルマで出かけた。高速道路を走っていて、驚くことがいくつかあった。 休日だったせいか、東北道だけのことなのか、日本の高速道路で起きることのすべてから、いつもそうだとは思えない(思いたくない)が、「常識」が失われている。まず、3車線の中央寄りの追越し車線に居座って、渋滞をつくり出すドライバーが少なくない。法定速度で走っているのだから、なんの問題があるか、と言わんばかりである。そこへ100km/時オーバーで走っていても自分だけは事故を起こさず、死なないし他人にも迷惑をかけない、と根拠のない自信をみなぎらせた勘違いドライバーが加わる。彼らは恐るべき勢いで前車との距離をつめ、ウインカーも出さずに割り込み、一番左側の走行車線を追い越し用に利用する。なぜなら、2車線目の走行車線にも「法定速度頑強維持派」が頑張っていて、時には左側の車線より遅い隊列ができあがるからだ。欧州でレンタカーを運転したとき、教えられたルールは一つだけだった。追い越すときは中央に近い車線に移れ、追いつかれたらより遅い車線に移れ、というものである。これが常識だろうと思って、同乗者に同意を求めたら「そんなことは習わなかった」と言う。日本の道交法には、確かに一般にはわかりにくい言葉で書いてある。また、厳密に書きすぎていて、例外も緻密に規定されているから、教えられても結局、ちゃんと理解されないことが多い。高速道路上の基本ルールを習わなかったはずはないが、同乗者によれば、記憶にはないし、周りが避けてくれるから事故になりにくく、道路上は乱暴者がのさばる弱肉強食の世界だという諦めもあって、これまでは大過なく走り終えてきたと言う。幸せなことだ。ずっと未来永劫、そのままであって欲しいと祈った。高速道路のように、走行する車両がほぼ同じ速度で移動することが前提になっている道では、早すぎても遅すぎても危険が増大する。安全のためには速度に応じた車線を選べば良い。簡単なことだ。ところが免許を持っているドライバーですら、その一部は単純明快なキープレフト原則がなんのためにあるか、守らないとどれほど危険かについて、理解も遵守もしていない。交通教育のあり方や運転免許制度について、根底から考え直す必要がありそうである。自転車時代が来ているというのに、ルールも教えないで狭い歩道に4倍もの速度差の歩行者と自転車を共存させることは、行政の「不作為」だと思うが、車道に出ればルールを知らないクルマに轢かれるからしかたがないと言う人ばかりだ。運動神経の良い若者だけがクルマを転がす時代はとっくの昔に終わっている。時代後れの頭脳で、国の将来を云々しても良いことはない。そのうえ、最近の国会では「常識」すら通用しないらしい。そう嘆いていたら、選ぶ方にこそ常識が必要だね、と言われてしまった。一言もない。 |